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『エセー/ミシェル・ド・モンテーニュ』宮下志朗訳~モンテーニュ流読書法のススメ

2月28日はモンテーニュの誕生日です。

『エセー/ミシェル・ド・モンテーニュ』宮下志朗訳(白水社)から、
モンテーニュ流読書法の紹介です!

(2015年2月28日)




『エセー』(白水社)は、
現在『エセー1 』から『エセー6 』まで(第3巻8章まで)刊行されています。
訳者は放送大学の宮下志朗先生です。


ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年2月28日 - 1592年9月13日)は、
16世紀フランスの哲学者です。

偉大な哲学者の読書法を知りたくて、ちょっと探してみました。



モンテーニュが「難しい本」にぶちあたったとき、どうしたと思いますか?
ほうっておくんだそうです。

読書をしていて困難な個所にぶつかっても、いつまでも爪をかんでなんかいない。一、二度、突撃をこころみたら、あとはほうっておく。そこにいつまで立ちつくしていても、こんがらがるだけだし、時間がもったいない。わたしは直感的な性格だからして、最初の攻撃でわからなければ、しつこく攻めても、よけいわからなくなるだけなのだ。楽しくできないようなことは、なにもしない主義なのである。(第2巻 第10章 書物について)『エセー3 』


すぐに理解できなくても、気にすることないんですね。
そして1冊の本にあきたら、さっさと別の本にうつるんだそうです。
モンテーニュ流の読書は乱読OKなんです!
こういうわけで、わたしは、こっちの本にあきたら、あっちの本を手にとる。そして、なにもしないでいて、どうにも退屈でしかたがないときだけ、読書に没頭するのだ。(第2巻 第10章 書物について)『エセー3 』


「自分は物覚えが悪い」と言うモンテーニュは、
読んだことのある本でも覚えていないとか。
こんな経験「自分もあるある!」と、親しみを感じてしまいます。

わたしは極端に物覚えがわるい。これはまだ読んだことがないぞ、新しい本だなと思って手にしたところ、その数年前に、いろいろと書き込みまでして丹念に読んだ本だったということが、何度もある。(第2巻 第10章 書物について)『エセー3 』


そんなモンテーニュは、ある読書法を実践しています。
本の最後に、読後感を書き留めるのです。
で、こんな記憶力に裏切られないように、しばらく前からどのような方策を講じているかといえば、書物の終わりに― 一度しかよむつもりのない本についての話である―、読了した日付と、おおまかな読後感を書き留めている。そうすればあとから、その本を読みながら、著者について、どのようなイメージを描き、どんな印象をいだいたのかぐらいは思い出せると考えてのことだ。(第2巻 第10章 書物について)『エセー3 』


持っているけど、読んでない本って、ありませんか?
「早く読まなくちゃ」と気ばかり焦ってしまいます。

モンテーニュは「本をあまり利用しない」が、「じっくりと味わう」と言っています。
モンテーニュ流の読書は積ん読もOKなんです!
わたしは、実際には書物をほとんど利用することがないから、この点では、書物を知らない人々と大差ない。その代わり、享受する段になると、まるでけちんぼうが財産を愛でるがごとく、書物をじっくりと味わう。いつでも好きなときに享受できるとわかっているから、書物を持っているという、この所有権だけですっかり満足しきっているのだ。(第3巻 第3章 三つの交際について)『エセー6』



読むことを先延ばしにしても構わないんです。

「もうじき読む」とか、「あした読もう」「気が向いたら読もう」などといっているうちに、時が過ぎ去っていくのだけれど、別にそれで気を悪くしたりしない。書物が自分のかたわらにあって、好きなときに楽しみを与えてくれるのだと考えたり、あるいは、書物がどれほどわが人生の救いになっているのかを認識したりすることで、どれほどわたしの心が安らぎ、落ち着くのか、とてもことばでは言い表せないほどだ。これこそは、わが人生という旅路で見出した、最高の備えにほかならない。(第3巻 第3章 三つの交際について)『エセー6』

大事なのは、本を読む楽しみを知っている、そのこと。
本を読む楽しみを知っていれば、本は持っているだけでも、嬉しいものなんですね。



実は、管理人もこの『エセー』を全部読んだわけではありません。
内容的に読みづらい部分があるのです。

昔から「読破したい」と思っているのに、でも、どうにも読めない。
そんな本を抱えていると、なんだか「後ろめたい」思いがするのですが、

乱読OK!積ん読OK!難しかったら休んでOK!

のモンテーニュ流読書法のおかげで、

すっごく、気が楽になりました~

『エセー』を持っているだけで、読むのを先延ばしにしていても、
『エセー』が楽しみを与えてくれることを知っていれば、
モンテーニュは気を悪くしないはずですもんね!


ところで、モンテーニュは『エセー』の新しい版を出すときに、必ず「付け足し」をしたんだそうです。

わたしの書物は、つねにひとつなのである。ただし、新版を出すときには、それを買いにきたお客さまを手ぶらで帰してもいけないから、あえて、少しばかり余計な飾りを付け足すことにしている。(第3巻 第9章「空しさについて」)『エセー6』『エセー』の「特認」をたどる



モンテーニュは「おまけ」をつけてくれていたんです!

モンテーニュにならって(?)、訳者の宮下先生も『エセー』におまけをつけてくださっています。

毎回、巻末には「おまけ」を付けようと考えていて、今回は、二〇〇五年秋に、モンテーニュの城館を訪ねたときの紀行文とした。(訳者あとがき)『エセー2 』


各巻の巻末に、宮下先生の「おまけ」(付録)がついてます。

・『エセー』の底本について-「ボルドー本」から1595年版へ/宮下志朗(『エセー1 』)
・モンテーニュの塔をたずねて/宮下志朗(『エセー2 』)
・フォルチュナ・ストロウスキの後悔/アントワーヌ・コンパニョン(『エセー3 』)
・レーモン・スポンの弁護―ピュロン主義の危機/ピエール・ヴィレー(『エセー4 』)
・<フランス古典叢書>新版への緒言(19世紀の『エセー』に添えられた無署名の序文)(『エセー5 』)
・『エセー』の「特認」をたどる/宮下志朗(『エセー6』)

管理人は「おまけ」の存在に気づいてから、本文より先に巻末を読むようになってしまいました。


放送大学のテキストでも、モンテーニュ関連の項目を学べますよ!

『文学のエコロジー('13)』の第4章- 3.モンテーニュの塔―「自分におもねる場所」
第5章-2.「特認」の延長-モンテーニュ『エセー』の場合



『歴史と人間('14)』の第8章モンテーニュとマリー・ド・グルネー-『エセー』の作者と「義理の娘」-


それにしても、「おまけ」って素敵な考えですね!

『エセー6』のおまけとして、ヴァージニア・ウルフの『モンテーニュ』の翻訳が候補に上がっていたらしいのですが、それを取りやめられたとのこと・・・・・・

悔しすぎます!

ぜひとも、ヴァージニア・ウルフの『モンテーニュ』、
発表してくださいませ!



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